池田野新田
いけだのしんでん
[現在地名]池田町池野
上田村の南西にあり、粕川などの氾濫原であった。東の六ノ井村・東野村、西の青柳村・田畑村に挟まれた池田野は、水便が悪く雑木林であったが、六ノ井村では所所開いて畑にしていた。「大垣藩城代日記書抜」によれば、宝永六年(一七〇九)当地の開発を出願した者がいた。しかし本格的な開発は元文五年(一七四〇)に始められ、加須河原野新田と同じく加納宿(現岐阜市)の三町人が願主となった。以下竹中文書によると、願主らは東野・六ノ井両村との間に開発地は折半にすること、開発投資金は両村とも出さずともよいことなどの協定を結んだ。延享二年(一七四五)検地が行われ、反別三四町六反余・高二二一石余の開発をみたが、うち田は三町三反余にとどまった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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