日本歴史地名大系 「沓井村」の解説 沓井村くついむら 岐阜県:揖斐郡池田町沓井村[現在地名]池田町沓井舟子(ふなご)村・段(だん)村の東、粕(かす)川右岸にあり、東は脛長(はぎなが)村(現揖斐川町)。かつて二筋あった粕川が、延宝八年(一六八〇)などの洪水で北粕川が本流になり、南粕川は水無川になったため、開発は南の方へ進められた。文明一四年(一四八二)と推定される一一月二六日の左衛門四郎売券(龍徳寺文書)に「くつ井中村」「くつ井荒尾住人」とみえる。延徳元年(一四八九)一二月二一日の九郎右衛門売券(同文書)では「上沓井天神」一段六〇歩が売られている。慶長四年(一五九九)の浅野長政折紙(阿子田文書)には「くつ井三ケ村」とみえ、当村は上中下の三ケ村からなっていた。 沓井村くついむら 岐阜県:可児市沓井村[現在地名]可児市下恵土(しもえど)古市場(ふるいちば)村の南にある。慶長郷帳などには江(え)(荏)戸(ど)上下と一括される。徳野藩領。岩瀬文庫本正保郷帳では下江渡(しもえど)村のうち。元禄郷帳に村名がみえる。承応二年(一六五三)以後は幕府領。元文五年(一七四〇)の村明細帳(渡辺文書)によれば田八町一反余・畑七町六反余、家数二八(高持二五・水呑三)・寺一・人数九五、馬四。上屋敷(かみやしき)村・古市場村・宮瀬(みやぜ)村からの出作地は計二四石余。立会いの井堤二ヵ所、雨池三ヵ所、入会の御林一ヵ所(一一町余)がある。茶・楮・桑・木綿などを作る。伏見(ふしみ)宿(現可児郡御嵩町)への助郷高一三〇石(元禄七年「伏見宿・太田宿助郷帳」奥村文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by