日本歴史地名大系 「沖中野村」の解説 沖中野村おきなかのむら 福島県:福島市松川北岸地区沖中野村[現在地名]福島市沖高(おきだか)高梨(たかなし)村の西、八反田(はつたんだ)川左岸の下位洪積段丘上に立地。八反田川を挟んで南は北矢野目(きたやのめ)村。領主の変遷は丸子(まりこ)村と同じ。古高新高帳によれば、米沢藩領時代の古高六二三石余、幕府検地による新高六〇二石余。寛保三年(一七四三)当時の薪木取場は上飯坂(かみいいざか)村と茂庭(もにわ)村の奥山であった。また上飯坂村の百姓が当村で高四四石余を耕作していた(「上飯坂村明細帳」福島市史)。 沖中野村おきなかのむら 青森県:西津軽郡森田村沖中野村[現在地名]森田村上相野(かみあいの)北は下中野(しもなかの)村(現柏村)、田圃を隔てて東は川端(かわばた)村(現柏村)、西は栄田(ゆうた)村。享保一二年(一七二七)には木造新田に属し、木造通三五ヵ村の一つで村位は下と定められた(平山日記)。享保一六年の検地帳によれば、田畑屋敷合せて二五町七反六畝二〇歩、村高は一四一・〇四七石であった。うち田方は一九町二反五畝一六歩で一三〇・六五六石、上田から下々田まで設定され、下々田が八町七反五畝二七歩、四三・六九五石とあり、畑方は六町五反一畝四歩で一〇・三九一石、上畑がなく中・下・下々畑で、下々畑が五町三反四畝一一歩、五・三四四石とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by