日本歴史地名大系 「沖家室」の解説 沖家室おきかむろ 山口県:大島郡東和町沖家室[現在地名]東和町大字沖家室島(おきかむろじま)屋代(やしろ)島の東部、南海上に浮ぶ島。地家室(じかむろ)に対する。沖家室は近世初頭には西方(にしがた)村の支村であった(注進案)。寛永三年(一六二六)の熊野帳に初めて家室と現れ、その後「地下上申」ではこの家室が地家室・沖家室の二村に分れ、それぞれ独立村として記される。沖家室一村の石高を記す「注進案」では、全村蔵入で総田畠数三七町余、総石高一二四石四斗余と記される。また総家数四四八、そのうち本百姓五八で本軒役三二、半軒役二六であった。亡土百姓は三八九を数え、漁人が多く、二七三軒(うち本百姓一一)が漁業を営んでいた。船数一七四艘のうち、漁船は一七二艘を数える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by