日本歴史地名大系 「赤石村」の解説
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石川の河口に位置する。東は
慶長一七年(一六一二)の由利郡中慶長年中比見出検地帳(由利郡中世史考)に
村の北方、赤石川右岸高台に赤石館跡がある。仁賀保氏の家臣赤石備中の居城といわれる。「由利十二頭記」に「天正十五年の六月仁賀保氏、鮎川氏中分にて矢島仁賀保和睦相調ふ。其悦の使者に仁賀保より矢島へ赤石与兵衛を被遣」とある。
慶長七年最上氏領、元和八年(一六二二)本多正純領、翌九年仁賀保挙誠領となり、高は三三〇石五斗九升八合であった(「仁賀保総高改」渡辺文書)。
寛永元年(一六二四)仁賀保家分知に際し、良俊(七千石家)領となるが、同八年天領となり
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あけしむら
赤石村
あかいしむら
赤石村
あかいしむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報