沖縄の集団学童疎開

共同通信ニュース用語解説 「沖縄の集団学童疎開」の解説

沖縄の集団学童疎開

1944年7月、政府はサイパン陥落を受け、南西諸島での戦闘に備え沖縄などの学童や高齢者、女性ら計約10万人を日本本土と台湾に疎開させる方針を決定。沖縄県は7月19日、「学童集団疎開準備要項」を発令し、疎開の対象や経費を定めた要項を各国民学校に送った。学童が疎開したのは熊本、大分、宮崎の3県。8月以降、船で約5500人が疎開した。九州へ航行中の対馬丸は8月22日、鹿児島県・悪石島あくせきじま沖で米軍に攻撃され沈没、判明した犠牲者のうち784人は学童だった。

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