河上名(読み)かわかみみよう

日本歴史地名大系 「河上名」の解説

河上名
かわかみみよう

市来院内の名田名。現在の市来町川上かわかみに比定される。宝治元年(一二四七)薩摩国御家人の橋口次郎大蔵家忠は祖母道阿弥陀仏から河上名名主職を譲与された(弘安五年三月一一日「橋口家忠申状」旧記雑録、以下断りのない場合は同書)。家忠は市来氏の庶流にあたり、正和三年(一三一四)に惣領家の市来家貞(時家)から市来院領家年貢をめぐって訴えられている(同年八月五日鎮西御教書)子孫は河上氏を名乗るが、河上(大蔵)氏内部でも対立があり、文保元年(一三一七)河上家光は川上名内田薗のことについて大蔵氏女から訴えられている(同年八月二〇日鎮西御教書)。延元二年(一三三七)三月一七日、河上家久は懐良親王に先んじて薩摩入りした三条泰季のもとへ参じ(沙弥導乗着到状)、同年六月四日には島津貞久がもっていた市来院河上名地頭職を預け置かれている(三条泰季御教書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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