河並新田(読み)かわなみしんでん

日本歴史地名大系 「河並新田」の解説

河並新田
かわなみしんでん

[現在地名]余呉町川並(かわなみ)

慶長九年(一六〇四)余呉湖北東岸の河並村余呉海(よごのうみ)に引尻(ひきじり)川を掘切り湖水を引いて造成した新田(川並区有文書)。川並新田とも書く。寛永石高帳に川並新田とみえ高四六石余、「此田地川並ニ作ル村なし」とあり、幕府領。以後幕末まで河並村持。元禄郷帳では甲斐甲府藩領。天明村高帳では幕府領。天保八年郷帳では山城淀藩領、ほかに天神社除地四石余がある。寛文六年(一六六六)の検地では田四町二反余・高五六石余、畑四畝余・高二斗余、ほかに天神領中田四反余。新田には百姓もなく河並村の出郷であったが、領主を異にしていたから本村とは別に庄屋・肝煎などを置いた(川並区有文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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