河内浜新田(読み)かわちはましんでん

日本歴史地名大系 「河内浜新田」の解説

河内浜新田
かわちはましんでん

[現在地名]海南市船尾

黒江くろえ湾に臨む船尾ふのお浦の海岸部を、河内国志紀しき小山こやま(現大阪府藤井寺市)の農民六兵衛以下一〇名が、和歌山藩の許可を得て塩田として開発した。延宝二年(一六七四)から三年間で完成。生産が安定した宝永元年(一七〇四)検地が行われ、河内浜新田として船尾浦の小名となったが高は不明。検地後の宝永四年に起きた南海大地震によって被害を受け、復旧後の同七年の名寄帳によれば、塩浜一五町・塩高七五八石、畑一町余・高一一石にのぼったことが知られる。同七年以降、河内浜新田は独立して村立されたが、天保一〇年(一八三九)の「続風土記」では船尾浦の小名となっている。おそらく時代とともに塩田の生産力が低下するにつれ、村を維持することが困難となったのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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