河原城荘(読み)かわらじょうのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「河原城荘」の意味・わかりやすい解説

河原城荘 (かわらじょうのしょう)

大和国山辺郡(現,奈良県天理市)の荘園。田数28町5反。最初は弘福(ぐふく)寺(川原寺)領であったが,弘福寺が空海に勅給されて以来,代々東寺長者の管掌下にあった関係で,この荘も長者渡領となっていた。1395年(応永2)に時の長者金剛乗院俊尊から,弘福寺とこの荘が将軍足利義満の重厄祈禱のために東寺に寄進された。1404年に義満の侍童御賀丸が無理にこの荘を買い取ったが,08年義満死後東寺に返還された。その後御賀丸は代官職を強請したが,東寺は幕府に訴えてこれを退け,15年には,一時年貢25貫文で番頭請となった。ついで代官職には在地豪族の豊田氏および東寺寺僧,南都内山永久寺寺僧が補任されたが,つねに豊田氏の勢力が強く,62年(寛正3)12月東寺が年貢15貫文で豊田頼英を補任してからは,祐英,春猶丸,澄英,春賀丸と豊田氏一統が永禄(1558-70)ころまで代官職をうけついだ。
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百科事典マイペディア 「河原城荘」の意味・わかりやすい解説

河原城荘【かわらじょうのしょう】

大和国山辺(やまのべ)郡にあった荘園。現奈良県天理市川原城(かわはらじょう)町が遺称地。河原庄ともいい,もと弘福(ぐふく)寺(川原寺)領であったが,同寺が空海に与えられたことから同寺とともに東寺教王護国寺)寺務長者の渡領となり,1399年同長者俊尊の寄進により東寺領となる。同年の田数28町5段。なお11世紀初頭,川原城町一帯には弘福寺領山辺荘が成立しており,河原城荘は弘福寺の所在地名〈川原〉にちなんで山辺荘が改号された可能性がある。

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