河原庄(読み)かわはらのしよう(かわはらじようのしよう)

日本歴史地名大系 「河原庄」の解説

河原庄(河原城庄)
かわはらのしよう(かわはらじようのしよう)

山辺庄と考えられる(→山辺庄。もと弘福ぐふく寺領であったが、同寺が僧空海に勅給されて以来、同寺とともに東寺寺務長者の渡領となっていたものであるが、足利義満の重厄祈祷のために仁王経読誦料所として、同長者俊尊が東寺に寄進している。応永六年(一三九九)の東寺文書

<資料は省略されています>

とみえる。その後応永九年には、東寺雑掌頼勝が、弘福寺および河原庄を弘福寺住僧らが違乱するのをとめるよう幕府に求めている(東寺百合文書)。ところが応永一一年には義満の侍童御賀丸が河原庄の所務職を強く要望することがあった。東寺は初め応じなかったが、結局同九月一五〇貫文で御賀丸に売却せざるをえないことになった。しかし応永一五年義満が没すると、東寺はその返還を策し、河原庄は東寺領となった(同文書)


河原庄
かわらのしよう

中世に存在した六波羅蜜ろくはらみつ寺の荘園。その所在については数説が考えられるが、そのうち桑村くわむら河原津かわらづ村に比定する説が最も有力である。

河原庄の起源については明確でないが、鎌倉時代には京都の六波羅蜜寺の荘園となっていたと推察される。嘉元四年(一三〇六)の富仁親王(のちの花園天皇)御教書(六波羅蜜寺文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、これは春宮すなわち富仁親王から、六波羅蜜寺の僧侶である中納言僧都に指令されたものである。これによって本家職が持明院統に属していたと思われる。

それから二〇年後の嘉暦元年(一三二六)永嘉門院令旨(六波羅蜜寺文書)に、

<資料は省略されています>

とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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