河合城跡(読み)かわいじようあと

日本歴史地名大系 「河合城跡」の解説

河合城跡
かわいじようあと

[現在地名]小野市新部町 構

加古川右岸の肥沃平地に築かれた大型の方形館跡。当城の南の道筋有馬ありま(現神戸市北区)から吉川よかわ(現吉川町)東条とうじよう(現東条町)を経て、三口みくち(現加西市)・姫路に至る街道である。城主上月氏は西播磨出身の国人で南北朝期に東播磨で活動しており、当地域の所領も有するようになった。聖範(法名)―甲斐守吉景(聖義)―左近将監景氏と続いた後、嘉吉の乱で没落する(応永二六年一一月日「上月吉景譲状并置文」上月文書など)。応永三四年(一四二七)播磨守護赤松満祐は将軍足利義持に反抗し帰国する際、「東河合堀殿ニ下着」して一日逗留している(同年一一月一八日「如法経道場赤松持貞讒訴書置」法光寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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