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河合曾良 かわい そら

美術人名辞典の解説

河合曾良

江戸前・中期の俳人。信濃生。本名は岩波庄右衛門正字。通称は河合惣五郎別号は宗悟。伊勢国長島藩に仕えたが致仕して江戸に下り、吉川惟足に神道・和歌を学ぶ傍ら、松尾芭蕉の門に入る。芭蕉十哲の一人。芭蕉の奥羽・北陸行脚〈おくのほそ道〉に随伴した。幕府巡見使の随員に加えられ、壱岐勝本で宝永7年(1710)客死、62才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河合曾良 かわい-そら

1649-1710 江戸時代前期-中期の俳人。
慶安2年生まれ。仕官した伊勢(いせ)(三重県)長島藩を辞し,江戸にでて吉川惟足(これたり)に神道や和歌をまなぶ。貞享(じょうきょう)の初め松尾芭蕉(ばしょう)に入門。師の身の回りの世話をし,「おくのほそ道」の旅に随行した。宝永7年5月22日死去。62歳。信濃(しなの)(長野県)出身。姓は岩波(旧姓高野)。名は正字(まさたか)。通称は庄右衛門。河合惣五郎と称す。著作に「曾良旅日記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

河合曾良

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:慶安2(1649)
江戸前・中期の俳人。本名,岩波庄右衛門正字。のち,河合惣五郎を通称とする。信濃国上諏訪(長野県諏訪市)の人。若くして郷里を離れて,伊勢国長島の大智院の住職であった叔父の秀精法師を頼って長島藩に出仕。のちに致仕して江戸へ赴く。そのころ,吉川惟足より神学を学んだものと考えられる。少なくとも,貞享2(1685)年ごろまでには松尾芭蕉の門に入り,俳諧を嗜むようになる。芭蕉庵の近隣に住して,芭蕉の日常生活の世話をした。当時の曾良を,芭蕉は「性隠閑をこのむ人にて,交金をたつ」(『花膾』)と評している。芭蕉との関係で注目されるのは,貞享4年に宗波と共に従った,『鹿島詣』の旅であろう。さらには,元禄2(1689)年の『おくのほそ道』への随行は,芭蕉の信頼を裏付ける事象。旅立ちに際し,「延喜式神名帳抄録」「名勝備忘録」を作成。また旅の折に記録しておいた『曾良旅日記』は,旅の実際を報ずる資料として貴重。元禄年中の足跡として,近畿地方巡遊と更科行脚が目をひく。宝永6(1709)年には,幕府派遣の巡国使に任ぜられ,翌年3月に筑紫へ向かう。福岡城下を経て,旅行中の同7年壱岐勝本で病死したと伝えられていたが,最近疑義が呈されている。のち,河西周徳が遺稿集『雪まろげ』(元文2〈1737〉年成立)を編む。<参考文献>石川真弘「河合曾良」(『蕉門俳人年譜集』)

(楠元六男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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