藩名・旧国名がわかる事典 「長島藩」の解説 ながしまはん【長島藩】 江戸時代、伊勢(いせ)国桑名(くわな)郡長島(現、三重県桑名市長島町)に藩庁をおいた譜代(ふだい)藩。藩校は文礼館。戦国時代、当地は一向一揆の一大拠点となり、一向宗門徒らの自治が行われていたが、1573~74年(天正(てんしょう)元~2)、織田信長(おだのぶなが)に鎮圧された。以後領主は、滝川一益(かずます)、織田信雄(のぶかつ)、羽柴秀次(ひでつぐ)、福島高晴(たかはる)とめまぐるしく変わった。関ヶ原の戦いの翌1601年(慶長(けいちょう)6)、徳川氏譜代の家臣菅沼定仍(すがぬまさだより)が2万石で入り、長島藩が成立した。2代定芳(さだよし)が21年(元和(げんな)7)に移封(いほう)され、長島藩は一時廃藩となった。49年(慶安2)に松平(久松)康尚(やすひさ)が1万石で入り再立藩されたが、1702年(元禄15)、2代忠充(ただみつ)の乱心により改易(かいえき)。代わって常陸(ひたち)国下館(しもだて)藩から増山正弥(まさみつ)が2万石で入り、以後明治維新まで増山氏8代が続いた。1871年(明治4)の廃藩置県で長島県となり、その後、安濃津(あのつ)県を経て翌年三重県に編入された。 出典 講談社藩名・旧国名がわかる事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「長島藩」の意味・わかりやすい解説 長島藩ながしまはん 江戸時代,伊勢国 (三重県) 桑名郡長島地方を領有した藩。元和7 (1621) 年以前福島氏1万石,菅沼氏2万石,その後しばらく桑名藩松平 (久松) 氏の兼領となり,のち慶安2 (49) 年から松平 (久松) 氏1万石,元禄 15 (1702) 年から増山氏2万石で,廃藩置県にいたった。増山氏は譜代,江戸城雁間詰。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル大辞泉プラス 「長島藩」の解説 長島藩 伊勢国、長島(現:三重県桑名市)を本拠地とした譜代藩。歴代藩主は菅沼氏、増山氏など。 出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報 Sponserd by