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吉川惟足 よしかわ これたり

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美術人名辞典の解説

吉川惟足

幽子。江戸の人。神道家。京の萩原兼従に神道を学ぶ。山崎闇斎の師。元禄7年(1694)歿、79才。

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デジタル大辞泉の解説

きっかわ‐これたり〔キツかは‐〕【吉川惟足】

[1616~1694]江戸前期の神道家。姓は「よしかわ」とも読む。吉川神道の創始者。江戸の人。京都の吉田神道を学び、江戸でその正統継承者と自称、一派を立てる。諸大名の信頼を得、幕府神道方となる。著「神代巻惟足抄」など。

よしかわ‐これたり〔よしかは‐〕【吉川惟足】

きっかわこれたり(吉川惟足)

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百科事典マイペディアの解説

吉川惟足【きっかわこれたり】

吉川(よしかわ)惟足

吉川惟足【よしかわこれたる】

江戸初期の神道家。姓は〈きっかわ〉とも読む。江戸の商家に育つ。歌学,神道を研究。吉田神道の萩原兼従(かねつぐ)に学び,名声が高まって諸侯に講説した。1682年幕府の神道方となる。
→関連項目儒家神道垂加神道

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉川惟足 よしかわ-これたり

1616-1695* 江戸時代前期の神道家。
元和(げんな)2年生まれ。京都の萩原兼従(かねより)から吉田神道の奥義をさずかる。和歌山藩主徳川頼宣(よりのぶ),会津(あいづ)藩主保科正之(ほしな-まさゆき)らの信任をえて天和(てんな)2年幕府神道方となり,吉川神道を確立した。元禄(げんろく)7年11月16日死去。79歳。江戸出身。号は視吾堂(あれみのや)。著作に「日本神道学則」「神祇要編」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

吉川惟足

没年:元禄7.11.16(1695.1.1)
生年:元和2(1616)
江戸前期の神道学者。吉田神道を学んで吉川神道を創唱するに至った人物。江戸の人。本姓は源を称し,幼名は千代松丸,通称は五郎左衛門。号は視吾堂,湘山隠士,幽子,柏葉主人。名は元成より惟足を経て従時と改めた。従時の従は,吉田神道の伝授を受けた師の萩原兼従より1字受け継いだもの。江戸日本橋の魚商・尼崎屋の養子となる。商売に失敗し,鎌倉に退いてから古典の学を志し,承応2(1653)年上京して萩原兼従より吉田神道を学んだ。兼従は惟足の学力を認め,吉田神道の奥義をことごとく伝授した。のち江戸に戻り,吉川神道を唱道する。その名声は広がり,紀伊(和歌山)藩主徳川頼宣,会津藩主保科正之ら諸大名に信頼され,特に正之は会津に惟足を迎え,惟足から神道を学んだ。寛文7(1667)年には将軍徳川家綱に召され,天和2(1682)年将軍徳川綱吉から幕府神道方を命ぜられた。以後,吉川家がこれを世襲することとなった。惟足の神道説は吉田神道を基礎とするが,その仏教的色彩を除き,むしろ徳川幕府の採用していた朱子学との習合を推し進め,神儒一致論を説いた。したがって,吉川神道の主張は道徳的な側面が強調され,社家中心の神道に対して批判的傾向にあった。『吉川視吾堂事記』によると,従来の神道を社人神道と称し,惟足の主張した神道を理学神道と称するとある。神道を社家中心から一般的な学問対象へと進めた神道家である。<著作>『神道大意註』<参考文献>千葉栄『吉川神道の研究』,平重道『吉川神道の基礎的研究』

(白山芳太郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

よしかわこれたり【吉川惟足】

1616‐94(元和2‐元禄7)
江戸前期の神道家。姓は〈きっかわ〉ともよむ。本名尼崎屋五郎左衛門。父は近江国出身の武士であったが,惟足は商家に養子として育ち,家は江戸日本橋の魚商であった。幼少より和歌読書に志あり,1651年(慶安4)家業を捨てて相州鎌倉に幽居,翌年生母を泉州堺にみまい,帰途京都に至り歌学を烏丸光広に問い,53年(承応2)さらに神道研究に志し侍従萩原(卜部)兼従(かねつぐ)(1588‐1660)に師事,56年(明暦2)兼従より神道道統授与の証明を与えられて,吉田神道の道統は吉田家を離れ市井の神道家惟足に継受された。

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大辞林 第三版の解説

きっかわこれたり【吉川惟足】

よしかわこれたり【吉川惟足】

〔姓は「きっかわ」とも〕 (1616~1694) 江戸前期の神道家。吉川神道の創設者。江戸の人。本名、尼崎屋五郎左衛門。京都の萩原兼従かねよりから吉田神道を学び、のち江戸で吉川神道を唱える。将軍徳川綱吉から幕府の神道方に任じられた。著「神道大意講談」「神代巻惟足抄」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉川惟足
きっかわこれたり

「吉川惟足 (よしかわこれたり)」のページをご覧ください。

吉川惟足
よしかわこれたり

[生]元和2(1616)
[没]元禄7(1694)
江戸時代前期の神道家。「きっかわ」とも読む。吉川神道の創始者。本名は尼崎屋五郎左衛門。京都で萩原兼従より吉田神道を学び,江戸に帰り,紀州徳川,加賀前田,会津保科の諸侯に仕え,寛文7 (1667) 年,江戸幕府の神道方に任じられ,没後は子孫が跡を継いだ。

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世界大百科事典内の吉川惟足の言及

【吉川神道】より

…江戸前期の神道家吉川惟足(これたり)によって提唱された神道。惟足が萩原兼従から道統伝授された吉田神道によりながら,その儒仏神三教包摂的な思想に対し,仏教的要素を除いて,儒学とくに宋学理論の重視を説き,みずから理学神道と称した。…

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