河島村(読み)かわしまむら

日本歴史地名大系 「河島村」の解説

河島村
かわしまむら

[現在地名]玉名市川島かわしま

菊池川河口の三角洲平野の北方低地にある。東は伊倉南方いくらみなみがた村、北は小野尻おのじり村、南は北牟田きたむた村に接する。近世初頭の加藤清正による掘替工事以前は島であったことから村名が起こったとされる。慶長九年(一六〇四)二月の検地帳には「伊倉之内川嶋村」とみえ、田二七町五反三畝・畠屋敷二三町九反八畝余・屋敷四三筆、分米五一八石余。小田手永に属した。元禄国絵図には「伊倉北方之内川島村」とある。当村の広瀬家は廻船問屋を営み、文化四年(一八〇七)には津方御改革による書類上の行違いから、大坂表へ菜種子を運ぶ荷船が抜荷の嫌疑をかけられるという事件が起こった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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