朝日日本歴史人物事典 「甲斐宗運」の解説
甲斐宗運
生年:永正12(1515)
戦国時代末の肥後(熊本県)益城郡の国人領主,御船城主。親宣の子。俗名親直,民部大輔。阿蘇,益城の国人統率者阿蘇大宮司惟将・惟種の筆頭老者。阿蘇氏勢力を代表して豊後の大友氏と結び,天正6(1578)年以降,反大友勢力となった国内の城・名和両氏に対抗して肥後中央部の大友方先兵として活動するも,同9年に竜造寺氏が侵入すると北部の国人らと共にこれに従属。同年末には島津氏の命で攻め寄せた八代の相良義陽を益城郡響ケ原合戦で討ち取り,同10年以降は八代に進出した島津氏と対決。竜造寺氏に送った人質の枷に苦しみつつ,島津氏との外交上の駆け引きのなか同13年死去。<参考文献>『上井覚兼日記』『拾集昔語』
(阿蘇品保夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報