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甲斐宗運 かい そううん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

甲斐宗運 かい-そううん

1515-1585 戦国-織豊時代の武将。
永正(えいしょう)12年生まれ。肥後(熊本県)御船城主。阿蘇大宮司阿蘇惟将(これまさ)・惟種の重臣。豊後(ぶんご)(大分県)の大友氏とむすび,天正(てんしょう)9年竜造寺氏にしたがう。同年島津氏の命で攻めてきた相良義陽(さがら-よしひ)を破り,島津氏に対抗した。天正13年7月3日死去。71歳。日向(ひゅうが)(宮崎県)出身。名は親直。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

甲斐宗運

没年:天正13.7.3(1585.7.29)
生年:永正12(1515)
戦国時代末の肥後(熊本県)益城郡の国人領主,御船城主。親宣の子。俗名親直,民部大輔。阿蘇,益城の国人統率者阿蘇大宮司惟将・惟種の筆頭老者。阿蘇氏勢力を代表して豊後の大友氏と結び,天正6(1578)年以降,反大友勢力となった国内の城・名和両氏に対抗して肥後中央部の大友方先兵として活動するも,同9年に竜造寺氏が侵入すると北部の国人らと共にこれに従属。同年末には島津氏の命で攻め寄せた八代の相良義陽を益城郡響ケ原合戦で討ち取り,同10年以降は八代に進出した島津氏と対決。竜造寺氏に送った人質の枷に苦しみつつ,島津氏との外交上の駆け引きのなか同13年死去。<参考文献>『上井覚兼日記』『拾集昔語』

(阿蘇品保夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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