河村正彦(読み)カワムラ マサヒコ

20世紀日本人名事典 「河村正彦」の解説

河村 正彦
カワムラ マサヒコ

明治・大正期の陸軍中将



生年
慶応4年5月6日(1868年)

没年
大正13(1924)年3月18日

出身地
長門国萩(山口県)

学歴〔年〕
陸士〔明治22年〕卒,陸大〔明治30年〕卒

経歴
長州藩士の子として生まれる。陸軍に入り、明治33年から3年間ドイツに留学して軍政を学ぶ。日露戦争では第2軍兵站部高級副官として出征。大正2年ドイツ大使館付武官となり、第一次大戦が勃発すると観戦武官としてオランダ赴任。4年歩兵学校長、同年参謀本部付、5年歩兵第2旅団長、7年歩兵学校長。同年中将。10年第13師団長。シベリア出兵に際しては西川虎次郎陸軍中将に代わって第10師団の指揮を執り、ウスリー沿岸のゲリラ掃討戦に従事した。著書に「改正独日歩兵操典比較研究」、訳書にリーツマン「将兵戦術の教育」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「河村正彦」の解説

河村正彦

没年:大正13.3.18(1924)
生年:慶応4.5.6(1868.6.25)
明治大正期の陸軍軍人。長州(萩)藩士のち陸軍1等軍吏河村五一の子。明治22(1889)年陸軍士官学校,30年陸軍大学校卒。33年から3年間ドイツで軍政を学ぶ。大正2(1913)年ドイツ大使館付となり,第1次世界大戦の開始によりオランダで観戦武官。7年中将,歩兵学校長。のち第13師団長。社交的で,乃木希典に好まれたという。

(鈴木淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河村正彦」の解説

河村正彦 かわむら-まさひこ

1868-1924 明治-大正時代の軍人。
慶応4年5月6日生まれ。ドイツ大使館付武官をへて第一次大戦時はオランダ駐在武官をつとめる。大正7年陸軍中将。10年第十三師団長。大正13年3月18日死去。57歳。長門(ながと)(山口県)出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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