河輪田庄・河田庄(読み)かわわたのしよう・かわたのしよう

日本歴史地名大系 「河輪田庄・河田庄」の解説

河輪田庄・河田庄
かわわたのしよう・かわたのしよう

現在の山川町川田かわたの内、吉野川沿岸の平野部一帯に比定される摂関家領庄園。永久五年(一一一七)一〇月一三日の藤原宗通卿家政所下文案(朝野群載)に「民部卿家政所下 阿輪田庄」とみえるのが早い史料である。この下文案では国名が記されていないうえ、「河」を「阿」と記しているが、元久元年(一二〇四)八月二三日の九条兼実処分状(九条家文書)にみえる「阿波国河輪田庄」と同一庄園と考えられ、「阿」は「河」の誤記とみられる。なお「阿波国庄園考」は「阿輪田庄」を現鳴門市北灘きたなだ粟田あわたに比定するが、これは誤りと考えられる。またこれより先の治承四年(一一八〇)五月一一日の皇嘉門院惣処分状(九条家文書)に「あは かわゝた」とみえるのも当庄のことと思われる。前掲下文案によると、当時当庄の範囲をめぐって国衙との間で訴訟が発生していたため、宗通は国司庁宣に従って官使・国使派遣の下で現地の四至示を打ち定めることを指示している。これによって庄域が実質的に確定されたものと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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