鎌倉・南北朝・室町時代の守護の直轄所領・所職。鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。守護宗孝親は在国司で在庁兄部を兼帯していたが,承久の乱の際朝廷方に属してそれらを没収された。宗孝親の所領はさらにさかのぼると,安芸国の有勢在庁で源平争乱時に源氏に味方して,守護に擬せられる地位についたものの,陸奥藤原氏攻めに不参の罪で所領を没収された国府早馬立城に拠る葉山城頼宗跡を継承したものであった。鎌倉時代の守護領として伝統的な有勢国衙在庁の所領・所職が代々継承されていることは,若狭国守護が国衙在庁稲葉権守時定跡の税所職とそれに付随する広大な今富名,国府近辺の国衙領,要港小浜等の諸浦を領有した事例などにもみられる。藤原親実のあと再び安芸守護に任ぜられた武田氏は,守護=在国司体制を継承するとともに,在庁福島氏を被官化して守護代に任じるなど国衙在庁の個別的掌握をも強め,それを室町幕府下においても維持し,国内支配に有効に作用させた。
室町幕府新任の守護は,播磨赤松氏のように国内に勢力をはる地頭系領主,周防大内氏のような国衙在庁系領主,任国に基盤を有していなかった足利氏一門などその出自に差異はあるが,国衙機構を掌握して国の唯一の支配者になるなかで,鎌倉時代の守護所領をある程度継承し,勲功の賞,敵方闕所(けつしよ)地,半済(はんぜい),押領等によってそれを拡大強化していった。足利氏一門の細川頼之・頼有兄弟は四国を基盤にして中国地方の平定に尽くした人物であるが,阿波守護であった頼有の所領は1387年(元中4・嘉慶1)の嫡子頼長あての譲状によって,守護所秋月(本領)とその居館在所と伝えられる麻植郡内を中心にした吉野川流域に分布し,闕所地,領家職,国衙職等から形成されていることが知られる。また頼有は91年(元中8・明徳2)に頼之が備後守護であったころ,栗原五ヶ荘,神村荘,海裹荘地頭職,津郷領家職,津郷公文職,石成荘下村,平野地頭領家,坪生領家職半分の8ヵ所を将軍足利義満から与えられているが,これらはその後基之(頼之養子)と頼長との守護2人制のもとで守護領として維持された。そして1401年(応永8)に始まった守護山名氏の本格的な備後国支配においても継承され,守護領としてその代官には守護代や国人領主が任ぜられ,また残る一方領家職などについては守護(被官)請が行われている。備後山名氏の守護領については備北の雄族山内氏の請地になっているものに限ってその全容が知られるが,それらは山内氏の山名氏への軍忠に対する恩賞として預けられたものであり,なかには料所伊与地頭分や細川氏以来の石成荘下村(厩料所分)のように,15世紀後期に山内氏に乗馬供として給与されているものもある。したがって,このころになると守護領は,守護大名知行制の展開に伴って従来有していた守護の経済的・政治的基盤としての意味を実態的に失っていったと言える。
執筆者:岸田 裕之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鎌倉から室町時代の守護の所領や所職。守護職は吏務職(りむしき)であってそれに付随した所領は原則としては存在しない。しかし任国内には本領のほかに地頭職や在国司職・在庁兄部(このこうべ)職など国衙(こくが)関係所職を与えられており、その経済的基盤は卓越していた。残存する大田文(おおたぶみ)によると、鎌倉時代では総体としての守護領は一国総田数の30%以上にも達している。室町幕府下の守護は、大田文の掌握など国衙機能を吸収包摂しつつ、半済預置(はんぜいあずけおき)権や段銭(たんせん)徴収権などを与えられており、広い意味での守護領はさらに拡大している。とくに一国内の半分以上を占める国衙領への半済預置権獲得の意味は大きい。15世紀になると、東国や九州の国衙領は守護職に属するという体制が実現される(守護領国制)。また王朝勢力下にあった他地域の国衙領も、その多くは守護請化されていった。こうして事実上守護領化した国衙領の多くは任国内の国人(こくじん)層へ給地として宛行(あてが)われ、彼らの守護被官化の媒介物となった。
[田沼 睦]
『石井進著『日本中世国家史の研究』(1970・岩波書店)』▽『岸田裕之著『大名領国の構成的展開』(1983・吉川弘文館)』
…郷とならぶ独立の公領行政単位となった別名・別保は,開発による領主制支配を内包し,国衙に直結する収納形態をもつ特権的直領であるが,その中心部分をなす在庁官人の別名(在庁名)は,他名に優越した規模を有し,国府所在の郡に集中する一方で,諸郡にも分布して,国衙領支配の基幹となっていた。このような国衙直領は,やがて鎌倉幕府の守護領の中核としてうけつがれ,他方国衙領の郡・郷にも地頭が設置されて,国衙領全体に幕府の支配権が及ぶようになる。中世後期に至っても国衙領支配はなお存続した。…
※「守護領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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