河辺百枝(読み)かわべのももえ

朝日日本歴史人物事典 「河辺百枝」の解説

河辺百枝

生年生没年不詳
7世紀中ごろの武人。斉明7(661)年7月斉明天皇が崩じたのち,中大兄皇子称制を行って即位することなく政務を執り,同年8月に百済救援軍を派遣した。このとき,阿曇比羅夫と共に前軍の将として名前がみえる。位は小花下であった。天武6(677)年10月,内小錦上で民部卿に任じられた。

(清田善樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河辺百枝」の解説

河辺百枝 かわべの-ももえ

?-? 飛鳥(あすか)時代の武人。
斉明天皇7年(661)中大兄(なかおおえの)皇子の命をうけ,百済(くだら)(朝鮮)救援のため,前軍の将軍として阿曇比羅夫(あずみの-ひらふ)とともに百済へわたる。天武天皇6年民部卿となった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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