朝日日本歴史人物事典 「河辺百枝」の解説
河辺百枝
7世紀中ごろの武人。斉明7(661)年7月斉明天皇が崩じたのち,中大兄皇子は称制を行って即位することなく政務を執り,同年8月に百済へ救援軍を派遣した。このとき,阿曇比羅夫と共に前軍の将として名前がみえる。位は小花下であった。天武6(677)年10月,内小錦上で民部卿に任じられた。
(清田善樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(清田善樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...