出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
生没年不詳。7世紀の中期に対朝鮮半島関係に活躍した外交官、将軍。阿(安)曇山背連(やましろのむらじ)比良夫ともいう。山背に本貫があったのだろう。舒明(じょめい)天皇の末年に百済(くだら)への使節となり、舒明天皇の崩御を聞いて百済からの弔使を伴って帰朝、その応接にあたり、また百済の国情を報告した。また百済義慈王の王子翹岐(ぎょうぎ)らが王に放逐されて来朝したとき、その家に預かっている。661年(斉明天皇7)に百済が唐と新羅(しらぎ)の連合軍に攻められ危急に陥ったとき、救援軍の前将軍に任ぜられ、後将軍阿倍引田(ひけた)比羅夫らとともに軍を率いて渡韓することになり、662年百済王子豊璋(ほうしょう)を170艘(そう)の軍船を率いて送って行き王位につかせた。その効なく、翌年白村江(はくすきのえ)に日本は大敗し、百済は滅んだ。
[横田健一]
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