朝日日本歴史人物事典 「河野教通」の解説
河野教通
生年:生年不詳
室町時代の武将。通久の子。のち通直。刑部大輔。父の跡を継いで伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の家督となる。同国の守護にも任じられたが,その他位を巡ってしばしば庶子家の通春や管領細川勝元と争い,領国支配は安定しなかった。応仁1(1467)年の応仁の乱に際して初めは態度をはっきりさせなかったが,のち勝元側の東軍に属し,西軍方の通春に対抗した。同族出身の一遍上人の像(松山市宝厳寺蔵)を作らせたり,大山祇神社(愛媛県大三島町)の法楽連歌に名を連ねたりする文化人でもあった。<参考文献>『愛媛県史古代Ⅱ・中世』
(山内譲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報