河野教通(読み)こうの のりみち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野教通」の解説

河野教通 こうの-のりみち

?-1500 室町-戦国時代武将
河野通久の子。永享7年(1435)父の戦死後,伊予(いよ)(愛媛県)の守護をつぐ。その地位をめぐって分家河野通春管領(かんれい)細川勝元とあらそい,通春との抗争はながくつづいた。応仁の乱では西軍に属す。文明7年同族出身の一遍(いっぺん)の木像(松山市宝厳寺蔵)をつくらせた。明応9年1月20日死去。名はのち通直。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河野教通の言及

【河野氏】より

…中世の伊予国(愛媛県)の豪族。古代の越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。風早郡河野郷(現,北条市)を根拠地とする。源平合戦時に,通清・通信父子が源氏方にくみして勢力をのばし,戦後は御家人の地位を得て伊予国最大の武士団に成長した。その支配領域は,風早郡を中心にして中東予に及んだ。承久の乱(1221)では通信が京方に味方し,所領所職の大半を失ったが,その子通久が鎌倉方についたのでかろうじて命脈を保った。…

※「河野教通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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