デジタル大辞泉 「管領」の意味・読み・例文・類語
かん‐れい〔クワン‐〕【管▽領】
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漢音「クヮンレイ」、呉音「クヮンリャウ」の両形が中世を通じて並び行なわれたが、中世の職名としては漢音「クヮンレイ」が正式で、中世の節用集類もこの形だけを載せている。
室町幕府の職名。本来の語は役職や不動産を管掌・領知する意。鎌倉幕府が北条氏の家宰を〈内(うち)管領〉と称したことなどが用例の始まりで,室町幕府に入っては鎮西探題を鎮西管領と称し,四国管領,中国管領など,広域行政権の管轄者をも管領と称するようになった。このような管領の語が,将軍家の家宰である執事を指す用語に専用されるに至ったのは南北朝後半期のことである。室町幕府の執事は将軍を補佐する幕府内最高の官職で侍所・政所・問注所などの諸機関を統轄し,将軍家御教書(みぎようしよ)の奉者として文書行政を一手に管掌したが,観応の擾乱以前は将軍足利尊氏の弟,直義の権限が強大で,執事高師直の実権は圧縮されていた。2代将軍足利義詮は,裁判機関である引付を縮小して将軍親裁権を強化したが,そのことが結果的に執事の権限を強化することになった。このように室町幕府執事・管領の勢力の消長は,将軍親裁権とうらはらの関係にあり,将軍が幼少であったり,何らかの事情で親裁しえぬときはとくに重大な意味をもった。さて幕府執事の人事は,足利一門の有力守護のうち,将軍に近い人物が補任され,高師直の跡は前侍所頭人の仁木頼章が継いだが,1358年(正平13・延文3)細川清氏が就任して以後は同氏と斯波氏とが交替で在勤し,98年(応永5)に畠山基国が当職に就任して初めて三管領の概念が生じた。なお執事を管領と呼んだのは58年の記録(《愚管記》)が初見で,以後南北朝末期まで執事と管領の呼称が混用された。したがって両者を別個の職制と見る説は誤り。
足利義満の壮年時と足利義教の将軍在任期は親裁権が最も発揮され,管領の存在は影が薄く,その前後の時期も重要政務は管領を含めた有力守護による重臣会議で決定されることが多かった。したがって管領が最も専権を振るったのは義満幼少時の細川頼之と斯波義将ぐらいで,義教のころには管領になりたがらぬ大名さえおり,辞意を漏らす管領を将軍が慰留するといった事態がしばしば生じた。これは荘園保護策を基本とする管領の業務が,守護大名の分国統治策と明らかに矛盾し,管領就任によって領国経営に不利をきたす恐れさえ生じるからでもある。三管領と称された細川・斯波・畠山三家のうち,斯波氏は早く永享年間(1429-41)に家督紛争が生じて幕閣への影響力を失い,畠山氏も享徳年間(1452-55)に守護職をめぐる内紛から混乱を生じ,応仁の乱前後には,幕府を左右する有力大名は細川氏と侍所家の山名氏に絞られてきた。その山名氏も応仁の乱と赤松氏の圧迫で分国統治に忙殺されるようになると,細川氏ひとり幕閣を牛耳る情勢となり,1486年(文明18)畠山政長が管領を辞してからは細川氏以外から管領に就任する者は皆無となり,ひいては管領が常置の職ではなくなり,将軍就位の儀式に際して置かれる臨時職となったのである。史料的には12代将軍義晴就位のときに任ぜられた細川高国が最後の管領で,以後補任された形跡はない。
→管領代
執筆者:今谷 明
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室町幕府の職名。政務の最高責任者として将軍を補佐した。鎌倉幕府の執権に相当する役職。幕府の開創当初にも執事(しつじ)とよばれる将軍の補佐役があったが、これに起用された人物は高師直(こうのもろなお)、仁木頼章(にきよりあき)、細川清氏(きようじ)ら足利(あしかが)一門でも末流の人々で、足利氏の家宰的色彩が強かった。ところが1362年(正平17・貞治1)、13歳の斯波義将(しばよしまさ)が任ぜられ、父の高経(たかつね)が後見(こうけん)役になったときから、引付(ひきつけ)方や侍所(さむらいどころ)などの幕府中枢機関を掌握することとなり、呼び方も管領とされるようになった。評定、引付を中心とする鎌倉幕府を受け継いだ幕府初期の体制から、将軍を中心に有力守護大名が結集する体制に転換したことを示すものであろう。以来管領は細川、斯波、畠山(はたけやま)の3家から任ぜられるのが例となり、三職あるいは三管領とよばれた。将軍が若年である場合には将軍にかわる権限をもつこともあったが、守護大名連合体制が破れる応仁(おうにん)の乱(1467~77)を契機に、その政治的意味は低下していった。
[桑山浩然]
室町幕府の職名。足利一門の最有力守護である斯波(しば)・細川・畠山3氏から選任された。家宰的色彩の濃い従来の執事と政務の長官をあわせた地位で,幕府諸機関を統轄して将軍を補佐し,将軍が幼少あるいはみずから政務をとれない場合に幕政を代行した最高の職。成立時期は諸説あるが,将軍足利義詮(よしあきら)から義満の代に幕府開設当初の足利尊氏・直義の権限分割による二頭政治が克服され,幕府権力の強化とともに将軍親裁権も拡大された。同時に,執事の職権も強化され幕政全般を統轄する職となり,有力一門が任じられ,しだいに管領の呼称が一般化する。守護勢力の代表として幕府諸政策の実行を支えるかなめであるとともに,将軍の専権を牽制する役割を担った。
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