河野通春(読み)こうの・みちはる

朝日日本歴史人物事典 「河野通春」の解説

河野通春

没年:文明14.閏7.14(1482.8.28)
生年:生年不詳
室町時代武将。通元の子。伊予守の官途を名乗る。伊予国(愛媛県)の豪族河野氏の庶子家の出身で,惣領家の教通(通直)と家督および同国守護の地位を巡って激しく争った。初めは細川勝元と結ぶが,のちには大内氏の支援を得る。この同盟関係によって応仁1(1467)年の応仁の乱に際しては大内政弘と共に兵船を率いて上洛し,西軍方の戦況回復に貢献した。文明9(1477)年ごろ帰国。その後も教通との対立が続いたが,同14年伊予国湊山城(松山市)で死去。一時期守護の地位を得たものの,伊予一国支配の野望は果たされなかった。<参考文献>『愛媛県史古代Ⅱ・中世

(山内譲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通春」の解説

河野通春 こうの-みちはる

?-1482 室町時代の武将。
河野通之(みちゆき)の孫。伊予(いよ)(愛媛県)河野分家(予州家)をつぎ,宗家の教通(のりみち)と伊予の主導権守護職をめぐり対立する。応仁の乱では京都にでて各地での戦闘にくわわる。帰郷後も教通との紛争がつづき,文明14年閏(うるう)7月14日湊山城で討ち死にした。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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