河野通久(読み)こうの みちひさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通久」の解説

河野通久(1) こうの-みちひさ

?-? 鎌倉時代武将
河野通信(みちのぶ)の子。母は北条時政(ときまさ)の娘。承久(じょうきゅう)の乱(1221)に際し,北条氏との縁で幕府方に属してたたかう。乱後,その功により伊予(いよ)(愛媛県)久米郡石井郷の地頭職(じとうしき)をあたえられる。朝廷方についた父や一族は壊滅したが,通久が伊予河野家を存続させた。通称九郎左衛門

河野通久(2) こうの-みちひさ

?-1435 室町時代の武将。
河野通義の子。応永16年(1409)叔父河野通之から家督をつぎ,のち伊予(いよ)(愛媛県)守護となる。九州大内持世(もちよ)と大友持直とが対立したとき,幕府に持世支援を命じられ,永享7年豊後(ぶんご)(大分県)に遠征,同年6月29日戦死。初名は持通。通称は犬正丸,四郎

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の河野通久の言及

【河野氏】より

…中世の伊予国(愛媛県)の豪族。古代の越智(おち)氏の流れをくむと伝えられる。風早郡河野郷(現,北条市)を根拠地とする。源平合戦時に,通清・通信父子が源氏方にくみして勢力をのばし,戦後は御家人の地位を得て伊予国最大の武士団に成長した。その支配領域は,風早郡を中心にして中東予に及んだ。承久の乱(1221)では通信が京方に味方し,所領所職の大半を失ったが,その子通久が鎌倉方についたのでかろうじて命脈を保った。…

※「河野通久」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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