デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河野通直」の解説 河野通直(2) こうの-みちなお 1566-1587 織豊時代の武将。永禄(えいろく)9年生まれ。河野通宣(みちのぶ)(左京大夫)の養子となり,永禄11年伊予(いよ)(愛媛県)河野宗家をつぐ。天正(てんしょう)4年長宗我部元親(ちょうそかべ-もとちか)に降伏,領国は長宗我部氏の支配下となる。13年豊臣秀吉の四国攻めで投降し,領国をうしなう。安芸(あき)(広島県)竹原にうつされ,天正15年22歳で死去し,伊予河野氏は滅亡した。幼名は牛福丸。 河野通直(1) こうの-みちなお ?-1572 戦国時代の武将。河野通宣(みちのぶ)(刑部大輔)の子。永正(えいしょう)16年伊予(いよ)(愛媛県)守護の父が病没し,河野宗家をつぐ。幕府より弾正少弼(だんじょうのしょうひつ)に任じられる。家臣団の内紛や長宗我部(ちょうそかべ)氏らの侵略になやまされ,分家(予州家)の河野晴通に家督をゆずる。のち出家し,伊予竜穏(りょうおん)寺の開基となった。元亀(げんき)3年8月26日死去。幼名は太郎。 河野通直(3) こうの-みちなお ⇒河野通尭(こうの-みちたか) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by