改訂新版 世界大百科事典 「油谷倭文子」の意味・わかりやすい解説 油谷倭文子 (ゆやしずこ)生没年:1733-52(享保18-宝暦2) 江戸中期の女流歌人。江戸京橋の生れで,賀茂真淵に師事。真淵はわが子のようにかわいがったが,わずか20歳の若さで惜しまれつつ世を去った。真淵には女弟子が少なくなかったが,倭文子は,鵜殿よの子,土岐(進藤)筑波子(つくばこ)とともに県門(あがたもん)の三才女と称せられた。家集に《文布(あやぬの)》がある。執筆者:佐佐木 幸綱 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「油谷倭文子」の解説 油谷倭文子 ゆや-しずこ 1733-1752 江戸時代中期の歌人。享保(きょうほう)18年生まれ。江戸京橋の商人伊勢屋油谷平右衛門の娘。賀茂真淵(かもの-まぶち)の弟子で,鵜殿余野子(うどの-よのこ),土岐筑波子(とき-つくばこ)とともに県門三才女といわれた。宝暦2年7月18日死去。20歳。名は八代子,いく子。姓は弓屋,油屋とも。家集に「文布(あやぬの)」。 油谷倭文子 あぶらだに-しずこ ⇒ゆや-しずこ 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by