日本大百科全書(ニッポニカ) 「土岐筑波子」の意味・わかりやすい解説
土岐筑波子
ときつくばこ
生没年未詳。江戸後期の女流歌人。進藤正静の養女で、幕臣土岐(とき)頼意の妻となった。賀茂真淵(かもまぶち)に歌を学び、初め茂子(しげこ)といったが、「筑波山は山しげ山」という古歌にちなんで、真淵が筑波子と名づけたという。油谷倭文子(ゆやしづこ)、鵜殿余野子(うどのよのこ)とともに県門(けんもん)三才女と称された。歌文集に『筑波子家集』(1813)がある。「吾(わ)が背子(せこ)がとき洗ひ衣(きぬ)縫はなくに荻(おぎ)の葉そよぎ秋風の吹く」という歌のように、女性らしい心情を平明に歌い上げる歌風を特徴とし、県門三才女のなかではもっとも歌才に恵まれていた。
[揖斐 高]
『『校註国歌大系15 近代諸家集一』(1929・国民図書)』