治田村(読み)はつたむら

日本歴史地名大系 「治田村」の解説

治田村
はつたむら

[現在地名]上野市治田

白樫しらかし村の南。南西は名張なばり川で大和国と境するが、大川おおかわの川岸岩壁にはねこ淵から淵までの間に、閻魔王・太山王・十王十躯などの群像が浮彫され、室町後期の作と推定される。天喜四年(一〇五六)の藤原実遠所領譲状案(東南院文書)猪田いだ郷の四至に「西限治田村」と村名が出るが、その頃の範囲は石打いしうち(現奈良県月ヶ瀬村)をも含んだと考えられる(「大田文断簡」八代国治氏蔵)

天文一三年(一五四四)阿拝郡玉滝たまたき(現阿山町)での一宮(敢国神社)の宮座文書、「就一宮御頭御役次第之事」(三国地志)のなかに「御的立 波田菊田殿」とある波田はたは当村と思われる。当村に菊田という土豪がいたと故老は伝え、「三国地志」は北隣白樫村に「菊田宅址」を記す。天正三年(一五七五)六月三日、薩摩の島津家久が伊勢参宮の帰途古山ふるやまを経て当村に一泊、「くうや次郎左衛門といへるものの宿かり枕」と記し、翌四日、「松の瀬の渡賃、其より北野といへる村」へ出ている(「中書家久公御上京日記」東大史料編纂所蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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