沾洲(読み)せんしゅう

改訂新版 世界大百科事典 「沾洲」の意味・わかりやすい解説

沾洲 (せんしゅう)
生没年:1670-1739(寛文10-元文4)

江戸中期の俳人。姓は貴志,初号は民丁。別号は橋南居,行輈斎,五千叟など。膳所(ぜぜ)の出身で,宝生座の謡師か。1696年(元禄9)江戸に下り,沾徳に入門して宗因風の点者となったが,蕉門其角祇空と親密で江戸蕉風に近い。沾徳の後継者として江戸の中心となり,百韻の中に人事色ゆたかな遊戯的な都会風を推進し,比喩体とよばれた新風を開拓した。しかし,晩年は蕉風復興の時代の波に洗われ,同門の沾涼の《鳥山彦(とりやまびこ)》で〈比喩俳諧滅却〉を予言されるなど,不遇の中に世を去った。時代が各流派の独立性を強め,最高指導者の存在を否定する方向へ向いていたためでもある。編著は《百千万》《続江戸筏》《親鶯》など。風葉編《江戸筏》では,〈雌雄独吟恋の巻〉を発表して江戸風を誇っている。代表句〈我門に富士のなき日の寒さ哉〉(《玄々前集》)は〈古今はいかい,其止まるべき風俗〉と称された。彼の好んだ現実的享楽的傾向は,江戸座俳諧に受けつがれ,《武玉川(むたまがわ)》から《柳多留》へ展開するのであって,後期江戸文学の方向を開拓したものといえよう。辞世〈張つめて氷の上のまくら哉〉(《園圃録》)では,氷上に身を横たえた臨終を遠望している。
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