日本歴史地名大系 「泉市」の解説 泉市いずみし 面積:一四五・四七平方キロ県のほぼ中央部に位置。もと宮城郡に属し、北は黒川郡富谷(とみや)町・大和(たいわ)町、西から南にかけては宮城郡宮城町、南から東にかけては仙台市。大和町との境に堂庭(どうにわ)山(二五二・三メートル)・長倉(ながくら)山(四九七・八メートル)・蘭(あららぎ)山(七六〇・八メートル)・泉ヶ岳(一一七二メートル)、宮城町との境に黒鼻(くろはな)山(八四二・九メートル)・座禅堂(ざぜんどう)山(三七〇・一メートル)などがあり、西部の一〇〇〇メートル級の山地から東へしだいに低くなる地形である。全体に山地・丘陵地が多く、平地は蛇行しながらほぼ東流する七北田(ななきた)川とその支流域に開けるにすぎない。市名はその秀容で親しまれる泉ヶ岳の泉に由来。仙台市に隣接する人口急増都市で、人口一二万五千七〇〇余(昭和六一年度調べ)は仙台市に次いで県下第二位。〔原始・古代〕福岡(ふくおか)の西上野原(ふくおか)で後期旧石器時代の石刃が発見されており、泉ヶ岳山麓の標高約四〇〇メートル付近にも縄文遺跡が点在しているが、未調査で内容は明らかでない。弥生時代の遺跡、古墳は現在のところ発見されていない。「和名抄」東急本によると古代の宮城郡には一〇郷があった。そのなかの丸子(まりこ)郷を当市西部の七北田川流域に比定する説(大日本地名辞書)があるが確かではない。式内社も所在しない。〔中世〕鎌倉時代の後期、実沢(さねざわ)・小角(おがく)・西田中(にしたなか)地区は山(やま)村とよばれ、鎌倉御家人高柳氏が地頭職を有していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by