泊番所跡(読み)とまりばんしよあと

日本歴史地名大系 「泊番所跡」の解説

泊番所跡
とまりばんしよあと

[現在地名]泊村泊

甲亀こうき山西麓に位置する。鳥取藩によって設置された海岸防備のための見張所で、遠見番所ともよばれた。寛永二〇年(一六四三)鳥取藩家老荒尾氏によって創設され、荒尾組士が番人として派遣された(在方御定)。承応四年(一六五五)鉄砲の者の定番が申付けられ(御船手御定)、明暦三年(一六五七)には異国船が来航あるいは難破したときなどの処置を示した五ヵ条の定が出された(御船手御法度)。寛政五年(一七九三)異国船漂流のときの手配として当番所警護の人数等が定められた。小浜こばま浦から長瀬ながせ(現羽合町)までの商船・漁船大小一三四艘が把握され、非常の際に泊に駆けつける士卒の数は一七〇人とされた(御軍式)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む