法勝寺村(読み)ほつしようじむら

日本歴史地名大系 「法勝寺村」の解説

法勝寺村
ほつしようじむら

[現在地名]西伯町法勝寺

新庄しんじよう村の南、北流する法勝寺川が南部の山間部を抜けて沖積平野を形成し始める辺りに位置する。法性寺・法正寺とも記した。法勝寺往来が通り、同往来唯一の宿駅が置かれた。同往来は法勝寺川本流(中谷という)沿いに南下して奥日野郡から備後方面に通じたが、同往来の枝道で法勝寺川支流東長田ひがしながた(東谷ともいう)に沿う金山かなやま越は口日野郡から美作方面に連絡し、また同川支流山田谷やまだだに(大和谷ともいう)沿いに登る道は出雲方面にも通じていた。近世初頭まで法勝寺はなか谷・東谷の村々をも含む広域地名として用いられ、元和四年(一六一八)や寛永年中(一六二四―四四)の東谷・中谷各村検地帳で各村名に「会見郡法勝寺之内」と冠されるものも多い。南方鴨部かもべ村の北部には伯耆守護山名氏の一族が拠った法勝寺城があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む