法泉庵村(読み)ほうせんあんむら

日本歴史地名大系 「法泉庵村」の解説

法泉庵村
ほうせんあんむら

[現在地名]三重町西泉にしいずみ 法泉庵

百枝ももえだ村の北、大野川東岸にある。近世を通じ臼杵藩領。慶長二年(一五九七)の三重郷検地帳写(渡辺家文書)には田原たわら村分と合せた宝泉庵ほうせんあん村の一冊が含まれる。村位は上。同一一年の惣御高頭御帳には法泉庵村とみえ、高七五石余、中ノ村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば田方四〇石余・畑方三五石余、日損所と注記される。正保郷帳には記載されず、西原にしばる村分に含まれる。江戸時代後期の免は九ツ六分(「雑録」臼杵藩政史料)

法泉庵村
ほうせんあんむら

[現在地名]竹田市城原きばる

南は轟木とどろき村、北は木原きばる村。正保郷帳では長田ながた郷に属し、田方四八石余・畑方五三石余で、柴山有と注記される。弘化物成帳では木原組のうち、村位は中、免七ツ四分、田五三石余(五町二反余)・畑四三石余(七町五反余)・屋敷三石余(三反余)で、開田はほとんどなく、開畑一石余(二町六反余)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報