日本歴史地名大系 「西泉村」の解説 西泉村にしいずみむら 福岡県:久留米市旧山本郡地区西泉村[現在地名]久留米市山本町耳納(やまもとまちみのう)中泉村の西に位置し、山辺(やまべ)往還の南に屋敷地がある。耳納山中には御立雑木山があり、耕地は中泉村分と入組み、千光(せんこう)寺・宮園(みやその)村周辺にも散在するほか、往還北側にも広がる(上三郡絵図)。一里塚があった(啓忘録抜萃)。西和泉とも記す。中世は竹野新(たかのしん)庄のうちで、永和四年(一三七八)五月二日の今川了俊書下(大分大学附属図書館文書/南北朝遺文(九州編)五)に竹野庄(竹野新庄)内「山本郷之内籠野・西泉・蜷河」とみえる。 西泉村にしいずみむら 石川県:金沢市旧石川郡地区西泉村[現在地名]金沢市西泉一―六丁目米泉(よねいずみ)村の東、伏見(ふしみ)川下流右岸に位置する。枝村に上(かみ)村・相河(あいこ)があり、京都北野社領小泉(こいずみ)保は相河一帯に比定される。天文一五年(一五四六)六月一八日の西泉等公用算用状(石清水文書)によれば当時山城石清水(いわしみず)八幡宮は加賀の所領について、一向一揆を代官として公用(請切年貢)の契約を結んでいたと思われ、同一四年分の公用国定(加賀惣国との契約分)九〇貫文のうち二〇貫文は「西泉国定」であった。 西泉村にしいずみむら 愛媛県:西条市西泉村[現在地名]西条市西泉(にしずみ)石鎚(いしづち)山脈に発する加茂(かも)川と中山(なかやま)川とのほぼ中間にあり、南は石鎚前山の麓に接するほか、東・西・北三方とも平地が続く。「西条誌」所引の旧記に、坂元(さかもと)村庄屋の倅次郎左衛門が、元和年中(一六一五―二四)当村に出て田地を開いたとあるが、村名は立たず。一柳氏時代の正保四年(一六四七)に氷見(ひみ)村の分村楢木(ならのき)村の内の本畑ならびに原地などを分け百姓屋敷地とし、干潟を開発した新田をもって成立。一村として取り立てられる。寛文二年(一六六二)氷見村のうち野々市(ののいち)分(村高五四石)も当村に繰り込まれて、枝在所となった(西条誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by