日本歴史地名大系 「西原村」の解説
西原村
にしはらむら
- 栃木県:宇都宮市
- 西原村
北は
西原村
さいはらむら
西原村
にしはらむら
王一九年条)、同九年には当村宮里筑登之らにより灌漑工事や水田開発が行われている(同書同王三〇年条)。
西原村
にしばるむら
西原村
にしばらむら
西原村
にしばらむら
淀江村の西、
西原村
にしはらむら
南流する
戦国時代までは東原村の地とともに「原郷」と記される場合も多かった。東西に分けてよぶ早い例は、鎌倉中期と推定される安芸国衙領注進状(田所文書)に「東原村」とみえ、西原村の存在を推測させるが、この東原村を近世の東原村へ直結するにはなお検討を要する。
西原村
にしはらむら
西原村
にしばるむら
西原村
にしばらむら
西原村
にしばらむら
- 京都府:綾部市
- 西原村
由良川右岸の段丘に広がる。
対岸の
西原村
にしばらむら
西原村
さいばらむら
西原村
にしばらむら
西原村
にしはらむら
かつての当村の集落は
元和五年(一六一九)の家高新帳では上組本江に属し、役屋数五。正保郷帳では高一六二石余、田方一〇町二反余・畑方六反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一六九石、免五ツ三歩、小物成は山役六九匁・蝋役五匁・牛役八匁(三箇国高物成帳)。文政八年(一八二五)能美組、天保一〇年(一八三九)以降山田組に属した。嘉永六年(一八五三)の村鑑帳(菊池家文書)では家数一八・人数一一〇(男五四・女五六)、馬一、おもな稼は杪柴・苧・ぜんまい売出しなど。
西原村
にしはらむら
西原村
にしばるむら
西原村
にしばるむら
- 熊本県:熊本市
- 西原村
台地上に位置し、北は
西原村
にしはらむら
西原村
にしばるむら
西原村
にしばらむら
西原村
にしばるむら
西原村
にしはらむら
西原村
にしはらむら
西
原村
にしあしはらむら
西原村
にしはらむら
西原村
にしばらむら
西原村
にしはらむら
西原村
にしのはるむら
西原村
にしはらむら
西原村
にしばらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報