法船寺町(読み)ほうせんじまち

日本歴史地名大系 「法船寺町」の解説

法船寺町
ほうせんじまち

[現在地名]金沢市中央通町ちゆうおうどおりまち長町ながまち二丁目

下伝馬しもでんま町と塩川しおがわ町から北西帯刀たてわき町に続く二町一七間余の通りを挟む両側町。法泉寺とも記す(元禄六年侍帳)大野庄おおのしよう用水分流(古車川)が通りにほぼ並行して町内を通る(文化八年金沢町絵図名帳)。寛永八年(一六三一)四月、犀川橋詰法船寺の門前町から出火し同寺を焼いて大火にいたり金沢城内をも焼失させたが(三壺記)町名はこの法船寺焼けののち当地に移転した浄土宗法船寺にちなむ。

寺の移転以前はなか村地内の河原(貞享二年寺社由緒書上)、一部は川除地とされ用水を挟んですでに武家宅地となっていた(三壺記)。寛文一一年(一六七一)には町名が確認される(国事雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む