波志江村
はしえむら
北は下触村(現佐波郡赤堀町)、西は勢多郡飯土井村・二之宮村(現前橋市)、東は五目牛村(現赤堀町)、粕川を境に上植木村、南は安堀村・伊勢崎町。北方に現在波志江上沼・波志江下沼と称される二つの大きな沼があり、「伊勢崎風土記」によると、上ノ沼(九千二八四坪)は桂川から、下ノ沼(二万八八八坪)は桂川および神沢川から水をとった。下ノ沼の中に七湧水があったという。沼底からは土師器や須恵器片、櫛型文様の弥生式土器などが出土。ほかに蟹沼(二千五〇〇坪)がある。中世文書にみえる「馳井」は下ノ沼の湧水をさすとされ、現在も「はせい」に近く発音される。中世には淵名庄に属し、波志江(橋江)氏の名字の地。橋江郷とも記す。「念仏往生伝」によると、建長六年(一二五四)春に「波志江市ノ小中次太郎母」が極楽往生を遂げたという。また叡山文庫天海蔵の菩提心論見聞奥書によると嘉慶三年(一三八九)六月一日に「上野国淵名庄波志江」で書写されており、同じく実蔵坊真如蔵の支分灌頂決も、応永八年(一四〇一)七月二三日に当地で書写されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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