波根西村(読み)はねにしむら

日本歴史地名大系 「波根西村」の解説

波根西村
はねにしむら

[現在地名]大田市久手町波根西くてちようはねにし

刺賀さつか村の東に位置し、日本海に臨む半農半漁の村。東は波根東村。「和名抄」に載る安濃あの波禰はね郷の遺称地とされ、中世にも波根東村などとともに波禰庄に含まれた。当地苅田かりた神社の天正一八年(一五九〇)銘の棟札に「石州安濃郡波根西村 刈田神社御殿一宇成就」とみえ、願主は富永山城守・有馬吉右衛門。正保国絵図に西村とあるのが当村とみられ、高三五八石余。元禄一〇年(一六九七)石見銀山領村々覚によると田方三〇三石余・畑方五七石余、ほかに新田畑三四石余がある。年貢高は米二〇四石余・銀五一七匁余。小物成として塩浜役一七匁・塩竈役一一匁九分・和布役五匁四分・釣船役一〇匁八分・水夫一人役九匁が課され、当村が早くから沿岸漁業製塩に進出し、海岸砂丘地帯の開作も進めていたことを示している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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