日本大百科全書(ニッポニカ) 「洋モス争議」の意味・わかりやすい解説
洋モス争議
ようもすそうぎ
1930年(昭和5)2月および9~11月に東京市南葛飾(かつしか)郡亀戸(かめいど)町の東洋モスリン亀戸工場に発生した、昭和恐慌下の代表的な解雇反対争議の一つ。同年2月、同工場では第二工場を閉鎖し、従業員3433人中解雇157人、転勤600人、年功手当廃止を発表。従業員は日本労働総同盟、日本労働組合同盟の指導で闘ったが、総同盟系の解雇者84人中17人が復職しただけで敗北した。その後、従業員は2469人に減少したが業績は好転せず、会社は9月第三工場の綿紡部および営繕部を閉鎖し、552人を解雇することにしたので、従業員は日本労働組合同盟の後身、全国労働組合同盟(全労)の指導によりストライキで闘った。女工を主体とする争議団は、会社の入れた暴力団や警官隊と勇敢に対峙(たいじ)し、争議は長期化した。会社は争議団の風紀が乱れているといって父兄に女工多数を引き取らせたので、苦境にたった争議団は市中デモを決行し、警官隊と「市街戦」といわれる衝突を演じて指導者を検挙され、争議団の惨敗に終わった。
[松尾 洋]
『大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 昭和六年版』復刻版(1968・法政大学出版局)』▽『内務省社会局労働部編『昭和五年労働運動年報』復刻版(1969・明治文献)』