日本歴史地名大系 「洞下村」の解説 洞下村ほらげむら 茨城県:筑波郡筑波町洞下村[現在地名]筑波町洞下筑波稲敷(つくばいなしき)台地東部に位置する細川(ほそかわ)街道の街村。東は上菅間(かみすがま)村・中菅間村。村域には縄文中期の土器・石器・土師器・須恵器が出土した洞下遺跡・庚窪(かのえくぼ)遺跡、縄文中期の土器が出土した谷越(たにごし)遺跡がある。文禄四年(一五九五)の中務大輔当知行目録(秋田県立図書館蔵)に「百五十五石四斗六升 ほらけ」とみえ、佐竹(東)義久領であったが、慶長七年(一六〇二)の佐竹氏移封により天領、寛永二年(一六二五)旗本本多重良知行地。本多氏は当村に陣屋を置いて、ほか六ヵ村(上菅間村・中菅間村・池田村・明石村・磯部村・寺具村)を支配した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by