朝日日本歴史人物事典 「洞院実煕」の解説
洞院実煕
生年:応永16(1409)
室町時代の公卿。父は洞院満季,母は法印兼真の娘。初名は実博。法名は元鏡で,東山左大臣と号した。応永31(1424)年に従三位に叙し,正長1(1428)年に権中納言となったが,永享1(1429)年に後花園天皇の勅勘を蒙って辞任,同2年還任した。同4年に従二位,権大納言,文安3(1446)年には内大臣,宝徳2(1450)年には従一位,享徳3(1454)年に右大臣,康正1(1455)年に左大臣となるが,長禄1(1457)年辞任して出家した。公家の実用語に読み仮名と意味を付した『名目抄』などを著すなど,有職にすぐれていた。日記に『実煕公記』(1432~53)がある。
(伊東正子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報