愚中周及(読み)グチュウシュウキュウ

改訂新版 世界大百科事典 「愚中周及」の意味・わかりやすい解説

愚中周及 (ぐちゅうしゅうきゅう)
生没年:1323-1409(元亨3-応永16)

室町中期の五山禅僧。字は愚中,諱(いみな)は周及。美濃の人。13歳で夢窓疎石の門に投じ,のち春屋妙葩(しゆんおくみようは)に参じた。1340年(興国1・暦応3)入明し,月江正印,即休契了等に参学,即休の法を継いだ。51年(正平6・観応2)帰国し,65年(正平20・貞治4)丹後天寧寺に住したが,95年(応永2)8月,安芸仏通寺の開山となった。1407年,将軍足利義持に招かれて上京,禅要を説いた。1409年8月25日没。仏徳大通禅師と勅諡された。著作に《大通禅師語録》5巻,詩文集《草余集》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「愚中周及」の解説

愚中周及 ぐちゅう-しゅうきゅう

1323-1409 南北朝-室町時代の僧。
元亨(げんこう)3年生まれ。美濃(みの)(岐阜県)の人。夢窓疎石(そせき)に師事。暦応(りゃくおう)4=興国2年元(げん)(中国)にわたり,即休契了の法をつぐ。帰国後臨済宗(りんざいしゅう)愚中派をおこし,丹波天寧寺(京都府)の住持となる。安芸(あき)(広島県)に仏通寺をひらいた。応永16年8月25日死去。87歳。諡号(しごう)は仏徳大通禅師。著作に「稟明(りんみょう)抄」。

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世界大百科事典(旧版)内の愚中周及の言及

【仏通寺】より

…仏通寺川沿いの深山幽谷の勝地にあり,域内に伝雪舟作の庭をもつ篩月(しげつ)庵,三級滝,聖民(しようみん)洞などの景地が多く,近世以降,文人墨客の清遊も多い。開創は1397年(応永4),沼田(ぬた)荘の地頭小早川春平が愚中周及(大通禅師)を迎え,一族の菩提寺として諸堂を建立。周及は同じ臨済でありながら権勢に密着した五山叢林の禅にあきたらず,元に渡って仏通禅師(即休契了)に師事し,その清新峻厳な禅風をついだ。…

※「愚中周及」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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