津久見館(読み)つくみやかた

日本歴史地名大系 「津久見館」の解説

津久見館
つくみやかた

大友おおとも町付近に所在したと考えられている。天正六年(一五七八)の日向敗戦を機に、大友宗麟は離婚した正妻奈多氏のいる臼杵丹生島うすきにゆうじま城に入らず、津久見に隠棲することになった。フロイス「日本史」によると、敗走した宗麟臼杵から三里隔たった津久見の某寺院に宿をとり、暮れには臼杵から病体のまま三里離れた山間に身を潜め、日曜には三里の道をたどり臼杵までミサ説教を聞きにきたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む