津屋弘逵(読み)ツヤ ヒロミチ

20世紀日本人名事典 「津屋弘逵」の解説

津屋 弘逵
ツヤ ヒロミチ

昭和期の地質学者 東京大学名誉教授



生年
明治35(1902)年5月10日

没年
昭和63(1988)年12月25日

出生地
岐阜県

学歴〔年〕
東京帝大理学部地質学科〔大正15年〕卒

学位〔年〕
理学博士〔昭和12年〕

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和48年〕,秩父宮記念学術賞〔昭和54年〕

経歴
昭和5年東京帝大地震研究所助教授、15年教授となり、20年所長就任。27年の明神礁爆発の観測で活躍した。38年退官、名誉教授。著書に「地学概説」「地学の研究」「大地の変化」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴 小野

最新 地学事典 「津屋弘逵」の解説

つやひろみち
津屋弘逵

1902.5.10~88.12.25 岐阜県羽島郡川島村に生まれる。1923年4月東京大学入学,同年9月関東大地震にあう。26年卒業とともに新設直後の東大地震研究所に助手として入所,同教授(8年間同所長)で63年退官。同所員として1926年の十勝岳噴火以来多くの噴火・地震の調査を行った。岩石学業績として,本州中部から伊豆-マリアナ弧に至る富士火山帯の地質岩石の総括的研究がある。特に富士火山の研究はライフワークであり,その構造と岩石の性質を明らかにする多くの論文と1/5万地質図を発表した。

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出典 平凡社「最新 地学事典」最新 地学事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津屋弘逵」の解説

津屋弘逵 つや-ひろみち

1902-1988 昭和時代の地質学者。
明治35年5月10日生まれ。昭和15年母校東京帝大の地震研究所教授となり,所長をつとめた。地質学的・岩石学的研究から富士火山が3つの火山体からなる,いわば3階建ての火山であることを解明した。53年度秩父宮記念学術賞。昭和63年12月25日死去。86歳。岐阜県出身。著作に「地学概説」「富士山地質図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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