日本歴史地名大系 「津根一柳陣屋跡」の解説
津根一柳陣屋跡
つねひとつやなぎじんやあと
一柳直照(半弥)・直増(権之丞)父子が正保二年(一六四五)西条藩より分知された宇摩郡内五千石を統治するため、津根村
寛文七年(一六六七)の「西海巡見志」に「八日市村是ハ一柳権之丞領」とある。また宝永七年(一七一〇)の伊予国宇摩郡野田村明細帳に「一柳権之丞様御屋敷後八反三畝拾二歩高七石二斗一合是ハ松平左京大夫様御知行所津禰村ニ御屋鋪御座候」とみえ、天保一三年(一八四二)の「西条誌」には「八日市、一ノ宮の脇にあり、広さ八段余也」とあり、「伊予温故録」に「八日市にあり寛文年中権之丞本郡の内にて五千石を領し此地に居る(中略)其館跡畑となせり」とあるのにあたる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報