日本歴史地名大系 「津根山村」の解説
津根山村
つねやまむら
現伊予三島市の南西部、
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の
「和名抄」にみえる宇摩郡津根郷に属するとされる。享保六年(一七二一)の伊予国宇摩郡津根山村明細帳(長野家文書)には「年号不知加藤左馬之助様御検地と申伝候」とみえる。江戸時代には初期の諸領主支配を経て、一時津根一柳氏知行地、さらに元禄一六年(一七〇三)幕府領となって幕末に至ったが、松山藩預所時代が長かった。延享三年(一七四六)の予州別子御銅山覚書写には、泉屋が別子銅山経営の便のため、一柳氏領の当村の収公を願い出て成功したことがみえる。
享保六年の津根山村明細帳によると、家数一一九、人数六二九。鉄炮は各一(玉目三匁から三匁五分)ほかに玉無おどし鉄炮三挺。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報