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法皇 ほうおう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

法皇
ほうおう

太上天皇 (だじょうてんのう) すなわち上皇 (じょうこう) が落飾して出家した場合の尊称。正式には太上法皇という。聖武天皇は天平感宝1 (749) 年孝謙天皇に譲位し太上天皇となったが,のち出家して勝満と号した。しかしこの場合には法皇と称さなかった。平安時代に宇多天皇が譲位ののち仁和寺に入って出家し,年号をとって寛平法皇と呼ばれたのが最初といわれる。歴史に法皇の存在が大きく現れるのは院政期で,白河,鳥羽,後白河の3天皇は上皇となり,さらに法皇として政を行なった。江戸時代の霊元法皇が最後とされる。 (→院政 )  

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百科事典マイペディアの解説

法皇【ほうおう】

出家した上皇の称。太上(だいじょう)法皇の略。平安前期の宇多法皇が最初とする説があり,江戸中期の霊元(れいげん)法皇が最後。聖徳太子が上宮(じょうぐう)聖徳法王と尊称され,道鏡は法王の地位についたが,これらの法王は法皇とは別である。→宇多天皇
→関連項目院政院宣院庁

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世界大百科事典 第2版の解説

ほうおう【法皇】

出家した上皇,すなわち太上天皇の称。太上法皇の略。法王と書いた例もある。天皇の出家の事例は,いまその時期を確定できない聖武天皇の例と,臨終に際し急遽落飾した天皇の例を除くと,すべて譲位後の出家で,奈良時代の孝謙上皇から江戸時代の霊元上皇に至るまで,北朝の上皇も含めて35例を数える。そのほか,即位せずして太上天皇の尊号をうけた後高倉院(守貞親王)と後崇光院(貞成親王)は,いずれも親王のとき出家していたので,尊号宣下以後は法皇ともよばれた。

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大辞林 第三版の解説

ほうおう【法皇】

出家した上皇の称。太上法皇の略。上皇の出家は、聖武上皇・孝謙上皇・清和上皇の例もあるが、法皇を称したのは、寛平法皇と呼ばれた宇多上皇が初例。
法王」に同じ。
法王」に同じ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

法皇
ほうおう

出家した太上(だいじょう)天皇の称。太上天皇の出家した例は、出家の時期が譲位の前後いずれとも決しがたい聖武(しょうむ)天皇の場合を除いて、孝謙(こうけん)上皇より霊元(れいげん)上皇に至るまで35例を数える。その間、法皇の称は、899年(昌泰2)宇多(うだ)上皇が出家して尊号を辞退したのち、太上法皇とよばれたのに始まり、爾後(じご)、法皇と称して上皇と区別するのが普通となったが、正式の称号はやはり太上天皇である。また法帝、禅皇(ぜんこう)などの称もある。なお、皇位につかずして太上天皇の尊号を宣下(せんげ)された後堀河(ごほりかわ)天皇の父後高倉(ごたかくら)院および後花園(ごはなぞの)天皇の父後崇光(ごすこう)院は、いずれも親王のときすでに出家していたので、尊号宣下後は法皇とよばれた。[橋本義彦]

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世界大百科事典内の法皇の言及

【上皇】より

…仙院,仙洞は上皇の御所を神仙の居所に見たてたもので,碧洞,洞中,藐姑射山(はこやさん)など,同類の用語もある。また上皇は出家に際して尊号を辞退し,以後太上法皇,あるいは略して法皇と称するのが例となったが,尊号の辞退は受理されないのが通例であり,出家後も身位上の正式の尊号は依然として太上天皇である。【橋本 義彦】。…

※「法皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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