法皇(読み)ホウオウ

デジタル大辞泉 「法皇」の意味・読み・例文・類語

ほう‐おう〔ホフワウ〕【法皇】

《「太上法皇」の略》仏門に入った太上天皇の呼称。
[類語]天子天皇

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精選版 日本国語大辞典 「法皇」の意味・読み・例文・類語

ほう‐おうホフワウ【法皇】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 仏門にはいった上皇を敬っていう語。太上法皇。法王。
    1. [初出の実例]「法皇西川におはしましたりける日」(出典:古今和歌集(905‐914)雑上・九一九・詞書)
  3. ほうおう(法王)[ 一 ]
    1. [初出の実例]「覚樹法皇、入微塵以无始」(出典:性霊集‐七(835頃)為荒城大夫奉造幡上仏像願文)
  4. ほうおう(法王)[ 一 ]
    1. [初出の実例]「同じ時に道鏡法師を以て法皇とし」(出典:日本霊異記(810‐824)下)
  5. ほうおう(法王)[ 一 ]
    1. [初出の実例]「羅馬の法皇は恰も天上地下の独尊なるが如し」(出典:文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉四)

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改訂新版 世界大百科事典 「法皇」の意味・わかりやすい解説

法皇 (ほうおう)

出家した上皇,すなわち太上天皇の称。太上法皇の略。法王と書いた例もある。天皇の出家の事例は,いまその時期を確定できない聖武天皇の例と,臨終に際し急遽落飾した天皇の例を除くと,すべて譲位後の出家で,奈良時代の孝謙上皇から江戸時代の霊元上皇に至るまで,北朝の上皇も含めて35例を数える。そのほか,即位せずして太上天皇の尊号をうけた後高倉院(守貞親王)と後崇光院(貞成親王)は,いずれも親王のとき出家していたので,尊号宣下以後は法皇ともよばれた。899年(昌泰2)宇多上皇が出家し,太上天皇の尊号を辞退して太上法皇と称してから,出家した上皇を太上法皇または法皇と称することが一般に流布したが,一方ではこれらは俗称にすぎないとする見解も行われた。しかし鎌倉時代以降は,しだいにこれが公称として定着した。またほかに,禅定法皇(略して禅皇),禅定仙院(略して禅院),法帝,法院などの称もある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法皇」の意味・わかりやすい解説

法皇
ほうおう

出家した太上(だいじょう)天皇の称。太上天皇の出家した例は、出家の時期が譲位の前後いずれとも決しがたい聖武(しょうむ)天皇の場合を除いて、孝謙(こうけん)上皇より霊元(れいげん)上皇に至るまで35例を数える。その間、法皇の称は、899年(昌泰2)宇多(うだ)上皇が出家して尊号を辞退したのち、太上法皇とよばれたのに始まり、爾後(じご)、法皇と称して上皇と区別するのが普通となったが、正式の称号はやはり太上天皇である。また法帝、禅皇(ぜんこう)などの称もある。なお、皇位につかずして太上天皇の尊号を宣下(せんげ)された後堀河(ごほりかわ)天皇の父後高倉(ごたかくら)院および後花園(ごはなぞの)天皇の父後崇光(ごすこう)院は、いずれも親王のときすでに出家していたので、尊号宣下後は法皇とよばれた。

橋本義彦

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百科事典マイペディア 「法皇」の意味・わかりやすい解説

法皇【ほうおう】

出家した上皇の称。太上(だいじょう)法皇の略。平安前期の宇多法皇が最初とする説があり,江戸中期の霊元(れいげん)法皇が最後。聖徳太子が上宮(じょうぐう)聖徳法王と尊称され,道鏡は法王の地位についたが,これらの法王は法皇とは別である。→宇多天皇
→関連項目院政院宣院庁

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法皇」の意味・わかりやすい解説

法皇
ほうおう

太上天皇 (だじょうてんのう) すなわち上皇 (じょうこう) が落飾して出家した場合の尊称。正式には太上法皇という。聖武天皇は天平感宝1 (749) 年孝謙天皇に譲位し太上天皇となったが,のち出家して勝満と号した。しかしこの場合には法皇と称さなかった。平安時代に宇多天皇が譲位ののち仁和寺に入って出家し,年号をとって寛平法皇と呼ばれたのが最初といわれる。歴史に法皇の存在が大きく現れるのは院政期で,白河鳥羽,後白河の3天皇は上皇となり,さらに法皇として院政を行なった。江戸時代の霊元法皇が最後とされる。 (→院政 )  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「法皇」の解説

法皇
ほうおう

法王とも。上皇が出家した場合の称。太上(だいじょう)法皇の略称で,禅定仙院(禅院)とも称した。899年(昌泰2)仁和寺で出家した宇多上皇が初例。院政を確立した白河・鳥羽・後白河の3上皇は,いずれも出家し法皇として権勢をふるった。以後,江戸時代の霊元上皇まで多くの上皇が法皇となった。

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旺文社日本史事典 三訂版 「法皇」の解説

法皇
ほうおう

出家した上皇の呼び名
「太上法皇」の略。平安中期,宇多上皇に始まり,江戸時代の霊元法皇にまで至る。特に白河・鳥羽・後白河の3法皇は院政の中心人物として有名。

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世界大百科事典(旧版)内の法皇の言及

【上皇】より

…仙院,仙洞は上皇の御所を神仙の居所に見たてたもので,碧洞,洞中,藐姑射山(はこやさん)など,同類の用語もある。また上皇は出家に際して尊号を辞退し,以後太上法皇,あるいは略して法皇と称するのが例となったが,尊号の辞退は受理されないのが通例であり,出家後も身位上の正式の尊号は依然として太上天皇である。【橋本 義彦】。…

※「法皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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