出家した上皇,すなわち太上天皇の称。太上法皇の略。法王と書いた例もある。天皇の出家の事例は,いまその時期を確定できない聖武天皇の例と,臨終に際し急遽落飾した天皇の例を除くと,すべて譲位後の出家で,奈良時代の孝謙上皇から江戸時代の霊元上皇に至るまで,北朝の上皇も含めて35例を数える。そのほか,即位せずして太上天皇の尊号をうけた後高倉院(守貞親王)と後崇光院(貞成親王)は,いずれも親王のとき出家していたので,尊号宣下以後は法皇ともよばれた。899年(昌泰2)宇多上皇が出家し,太上天皇の尊号を辞退して太上法皇と称してから,出家した上皇を太上法皇または法皇と称することが一般に流布したが,一方ではこれらは俗称にすぎないとする見解も行われた。しかし鎌倉時代以降は,しだいにこれが公称として定着した。またほかに,禅定法皇(略して禅皇),禅定仙院(略して禅院),法帝,法院などの称もある。
執筆者:橋本 義彦
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出家した太上(だいじょう)天皇の称。太上天皇の出家した例は、出家の時期が譲位の前後いずれとも決しがたい聖武(しょうむ)天皇の場合を除いて、孝謙(こうけん)上皇より霊元(れいげん)上皇に至るまで35例を数える。その間、法皇の称は、899年(昌泰2)宇多(うだ)上皇が出家して尊号を辞退したのち、太上法皇とよばれたのに始まり、爾後(じご)、法皇と称して上皇と区別するのが普通となったが、正式の称号はやはり太上天皇である。また法帝、禅皇(ぜんこう)などの称もある。なお、皇位につかずして太上天皇の尊号を宣下(せんげ)された後堀河(ごほりかわ)天皇の父後高倉(ごたかくら)院および後花園(ごはなぞの)天皇の父後崇光(ごすこう)院は、いずれも親王のときすでに出家していたので、尊号宣下後は法皇とよばれた。
[橋本義彦]
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法王とも。上皇が出家した場合の称。太上(だいじょう)法皇の略称で,禅定仙院(禅院)とも称した。899年(昌泰2)仁和寺で出家した宇多上皇が初例。院政を確立した白河・鳥羽・後白河の3上皇は,いずれも出家し法皇として権勢をふるった。以後,江戸時代の霊元上皇まで多くの上皇が法皇となった。
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…仙院,仙洞は上皇の御所を神仙の居所に見たてたもので,碧洞,洞中,藐姑射山(はこやさん)など,同類の用語もある。また上皇は出家に際して尊号を辞退し,以後太上法皇,あるいは略して法皇と称するのが例となったが,尊号の辞退は受理されないのが通例であり,出家後も身位上の正式の尊号は依然として太上天皇である。【橋本 義彦】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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