津田城跡
つだじようあと
[現在地名]枚方市津田
延徳二年(一四九〇)頃、新興の国人津田正信が築いた城郭。生駒山地の西部延長部にあたる津田山中国見山の標高二八六・五メートルの位置に築かれ、国見山城とも称された。山城・大和・河内三国の国境にあたる。
津田正信は、はじめ津田・尊延寺・芝・穂谷四村を領有し、周防守を名乗った(「国見嶽城主歴代略録」尊光寺文書)。津田一帯は在地領主中原氏が勢力をもっており、三之宮神社の宮座の座頭を務めていたが(「穂谷三之宮大明神年表録」三之宮神社文書)、津田氏によりその地位を奪われた(前掲略録)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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